2007年07月05日
だるまストーブほどあっつくはないけれど。
こんばんは♪
キャバクラのおねーちゃんがいっぱい載ってる小冊子(無料)を資料に、スキンを作っているというのはないしょー!><
街角美人、さざんです。
いいねー。もうそのメイクがいいですねー。ナイスメイク!←いつもより投げやり(体調不良のため
はい。
本日は、セカンドライフで感じる「あたたかさ」について考えてみました。
商店街のやおやさんで、ナスと大根を買うときに聞く、おじさんの気持ちのよい「ありがとうねっ!」の声。自然と、「どうもー。」って、返しちゃいますよね。
コンビニでお買い物。雑誌と爽健美茶をお買い上げ。レジでは、機械的にお会計を済ませ、そのままの表情で、そのままの足取りで、そのまま退店。きっとそれは、自動販売機でコーラを買うときと同じくらい、気軽なもの。とても便利なもの。
しかしこの便利さに慣れることで、私はコンビニと自動販売機にさして差がないと感じるようになりました。ちょっとだけ寂しくもありましたが、寂しさはその便利さに太刀打ちできるほど、大きな感情の波ではなかったことを、今でもはっきりと覚えています。
インターネットの世界ではどうなのでしょうか。
インターネット通販が一世を風靡し、いまやインターネットを経由して買えないものはないとまで言われています。スーパーやデパートも、リアル店舗での販売のほか、「ネットスーパー」なる配達業務を開始しました。自動販売機のボタンを押すように、マウスをクリックするだけで手元まで商品が届く現代。なんてすばらしい世の中になったのでしょうね。ここ10年で、「未来」だったのものが「現在」になりました。
コンビニに慣れ親しんだ世代、少なくともその世代である私は、寂しさを感じることも、このときしませんでした。なぜか。
答えは簡単です。便利だから。
私は、便利以上の何者でもないと思っています。すべてに対して、「便利」という効率が勝っていたからです。買い物に行く時間、売り場を歩く時間、商品を見比べる時間など、リアルで買い物をするのに必要な時間を数値化し、ネット経由で購入するにかかる送料などと比較、効率のいいほうをチョイスしただけだからです。
効率のいいほうを選択するという、機械的作業をしただけだからです。画期的だし、いいことだと思います。
そう考えて行動することに、違和感を感じたことはありません。
そんなとき。
セカンドライフで活動するさざんは、そのインワールドで懐かしいあたたかさを感じました。昔に感じた、あたたかさ。なんだろ、これ。ここちいいな。

↑肌のぬくもりは感じないけど、なにかがあったかいよ。
セカンドライフでの行動は、インターネットを経由しての経済活動であり、表現活動です。ネット通販以上にデジタルな環境です。しかし、そこで感じる、あたたかい人の感触。
なにかな、これ。なんでかな、これ。
それはきっと、大工さんが家を作り上げるのと同じように、オブジェクトが目の前で作り上げられる工程に、インワールドでじかに触れることが出来るからだと思っています。その工程を、ルールを知ることで、システムにより販売される商品でも、カンタンにその作り手を想像することができるからだと思っています。
想像することは、ちょっとだけ面倒なことかもしれません。コンビニで、欲しいものだけをかごに入れて、レジでピッてやって買うその行為より、ちょっとだけ面倒かもしれません。
でもね。
たったそれだけで、作り手やその商品が作られる工程に加えられる人の手を想像するだけで、手元の商品からあたたかさを感じることが出来るのです。ビニール袋に入ってて、淡々と商品棚に並べられたパンも、たくさんの人の手により作り上げられ、命を吹き込まれ、さざんの目の前にあるのです。そう思うことで、明日食べるそのパンは、きっといままでより美味しく感じるはずです。
それはみんな、昔からやっていたことのはず。難しいことでも、出来ないことでもなく、便利という光によって、ちょっとだけ見えにくくなっているだけ。簡単な、想像。それは、あたたかさの創造。
そんな「記憶」を、セカンドライフという仮想世界で、発見しました。自分の心のなかの、とてもとても深くに、ひっそりと、ひざを抱えてすわっていた「やさしさ」という感情を、気持ちを、発見しました。
だから感じたのですね。そのあたたかさ。やおやのおじさんとのふれあいにも似た、心と心のふれあい。
インターネット通販の、いやインターネットの次の大きな進化のヒントは、このあたりに隠されているのかもしれませんね。
だるまストーブほどあっつくはないけれど、デジタル情報を基本としたインターネットからでも、きっとここちいいくらいのぬくもり、ここちいいくらいのあたたかさをかんじることはできるよ。だって、みんな、ほんとはやさしいから。こころはみんな、あたたかいから。ネットのむこうにあるのは、リアルのあたたかい「人の心」だから。
キャバクラのおねーちゃんがいっぱい載ってる小冊子(無料)を資料に、スキンを作っているというのはないしょー!><
街角美人、さざんです。
いいねー。もうそのメイクがいいですねー。ナイスメイク!←いつもより投げやり(体調不良のため
はい。
本日は、セカンドライフで感じる「あたたかさ」について考えてみました。
商店街のやおやさんで、ナスと大根を買うときに聞く、おじさんの気持ちのよい「ありがとうねっ!」の声。自然と、「どうもー。」って、返しちゃいますよね。
コンビニでお買い物。雑誌と爽健美茶をお買い上げ。レジでは、機械的にお会計を済ませ、そのままの表情で、そのままの足取りで、そのまま退店。きっとそれは、自動販売機でコーラを買うときと同じくらい、気軽なもの。とても便利なもの。
しかしこの便利さに慣れることで、私はコンビニと自動販売機にさして差がないと感じるようになりました。ちょっとだけ寂しくもありましたが、寂しさはその便利さに太刀打ちできるほど、大きな感情の波ではなかったことを、今でもはっきりと覚えています。
インターネットの世界ではどうなのでしょうか。
インターネット通販が一世を風靡し、いまやインターネットを経由して買えないものはないとまで言われています。スーパーやデパートも、リアル店舗での販売のほか、「ネットスーパー」なる配達業務を開始しました。自動販売機のボタンを押すように、マウスをクリックするだけで手元まで商品が届く現代。なんてすばらしい世の中になったのでしょうね。ここ10年で、「未来」だったのものが「現在」になりました。
コンビニに慣れ親しんだ世代、少なくともその世代である私は、寂しさを感じることも、このときしませんでした。なぜか。
答えは簡単です。便利だから。
私は、便利以上の何者でもないと思っています。すべてに対して、「便利」という効率が勝っていたからです。買い物に行く時間、売り場を歩く時間、商品を見比べる時間など、リアルで買い物をするのに必要な時間を数値化し、ネット経由で購入するにかかる送料などと比較、効率のいいほうをチョイスしただけだからです。
効率のいいほうを選択するという、機械的作業をしただけだからです。画期的だし、いいことだと思います。
そう考えて行動することに、違和感を感じたことはありません。
そんなとき。
セカンドライフで活動するさざんは、そのインワールドで懐かしいあたたかさを感じました。昔に感じた、あたたかさ。なんだろ、これ。ここちいいな。

↑肌のぬくもりは感じないけど、なにかがあったかいよ。
セカンドライフでの行動は、インターネットを経由しての経済活動であり、表現活動です。ネット通販以上にデジタルな環境です。しかし、そこで感じる、あたたかい人の感触。
なにかな、これ。なんでかな、これ。
それはきっと、大工さんが家を作り上げるのと同じように、オブジェクトが目の前で作り上げられる工程に、インワールドでじかに触れることが出来るからだと思っています。その工程を、ルールを知ることで、システムにより販売される商品でも、カンタンにその作り手を想像することができるからだと思っています。
想像することは、ちょっとだけ面倒なことかもしれません。コンビニで、欲しいものだけをかごに入れて、レジでピッてやって買うその行為より、ちょっとだけ面倒かもしれません。
でもね。
たったそれだけで、作り手やその商品が作られる工程に加えられる人の手を想像するだけで、手元の商品からあたたかさを感じることが出来るのです。ビニール袋に入ってて、淡々と商品棚に並べられたパンも、たくさんの人の手により作り上げられ、命を吹き込まれ、さざんの目の前にあるのです。そう思うことで、明日食べるそのパンは、きっといままでより美味しく感じるはずです。
それはみんな、昔からやっていたことのはず。難しいことでも、出来ないことでもなく、便利という光によって、ちょっとだけ見えにくくなっているだけ。簡単な、想像。それは、あたたかさの創造。
そんな「記憶」を、セカンドライフという仮想世界で、発見しました。自分の心のなかの、とてもとても深くに、ひっそりと、ひざを抱えてすわっていた「やさしさ」という感情を、気持ちを、発見しました。
だから感じたのですね。そのあたたかさ。やおやのおじさんとのふれあいにも似た、心と心のふれあい。
インターネット通販の、いやインターネットの次の大きな進化のヒントは、このあたりに隠されているのかもしれませんね。
だるまストーブほどあっつくはないけれど、デジタル情報を基本としたインターネットからでも、きっとここちいいくらいのぬくもり、ここちいいくらいのあたたかさをかんじることはできるよ。だって、みんな、ほんとはやさしいから。こころはみんな、あたたかいから。ネットのむこうにあるのは、リアルのあたたかい「人の心」だから。
Posted by さざん at 14:31│Comments(3)
│コミュニティ・コミュニケーション関連。
この記事へのコメント
しみじみ読んじゃった…
いい話だにゃぁ…(;_;)
いい話だにゃぁ…(;_;)
Posted by ゆき at 2007年07月06日 05:35
初めてコメントさせてもらいます
私もこの世界に入って感じる人と人の
心のふれあいが好きで、、、、、、
あたたかさみたいなものを感じてました。
まさに、サザンさんのおっしゃるとおり(^^♪
いつもサザンさんの感性の鋭さには
感心してます。
また楽しいブログを書いていってくださいねー
私もこの世界に入って感じる人と人の
心のふれあいが好きで、、、、、、
あたたかさみたいなものを感じてました。
まさに、サザンさんのおっしゃるとおり(^^♪
いつもサザンさんの感性の鋭さには
感心してます。
また楽しいブログを書いていってくださいねー
Posted by リセ at 2007年07月06日 14:17
>ゆきちゃん
うんうん。。。
長文読んでくれて、ありがとー。
セカンドライフやってると、いろいろ思うことがあるのです。。。
本当に、世界の縮図だなって、思ったりします。あるのは、開けた世界=リアルなんだなって。
>リセさん
はじめまして♪
ほんとに最後まで読んでくれて、ありがとうございます^^
きっと、セカンドライフのコミュニケーションは、今までになかった軸の導入により、とても人らしく、またあたたかく感じるのだと思います。
時間の共有って、ほんとにすごいですよね。その軸が加わったことで、こんなにも厚みのある人間関係が築けるのですから^^
この世界を、楽しみましょう♪ この世界を、楽しいものにしましょう♪
うんうん。。。
長文読んでくれて、ありがとー。
セカンドライフやってると、いろいろ思うことがあるのです。。。
本当に、世界の縮図だなって、思ったりします。あるのは、開けた世界=リアルなんだなって。
>リセさん
はじめまして♪
ほんとに最後まで読んでくれて、ありがとうございます^^
きっと、セカンドライフのコミュニケーションは、今までになかった軸の導入により、とても人らしく、またあたたかく感じるのだと思います。
時間の共有って、ほんとにすごいですよね。その軸が加わったことで、こんなにも厚みのある人間関係が築けるのですから^^
この世界を、楽しみましょう♪ この世界を、楽しいものにしましょう♪
Posted by さざん at 2007年07月07日 02:05