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2009年03月26日

明日のイベント情報。

 こんばんは♪

 疲れた!
 街角美人、さざんです。

 あれです、極度の緊張。
 最近、慣れないお仕事を最近しているわけでございますが、そんな影響からか、ふとお仕事の疲れがどーん! と来るわけで御座いますーface08
 キンチョー! キンチョー! 大キンチョー! 慣れない事するのって、ちょー緊張デス!face07icon10

 あ、最近お客さんトコ行ったりご挨拶したり、そんなことをしているんですけれどもね。慣れないと疲れちゃうんですよね、オトナ語話すことに!(どーん!



 と、そんな緊張をやさしくほぐしてくれるステキSIMがまた一つ、セカンドライフから無くなります。


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『WITHファイナルイベント Carnevale(カルネヴァーレ)』

■開催日時:2009年3月27日(金) 日本時間22:00~0:00
■開催会場:WITHシアター前 噴水広場 特設会場
■ドレスコード:フォーマル◎・仮装も歓迎
         (SIMの雰囲気に合わせていただければ幸いです)

メインはダンスパーティーとなりますが、みなさんで仲良く
ゴンドラやお花見、お散歩をお楽しみくださいませ^^。
フォトコンテストの展示も引き続き開催中です。
-----------------------------------------------------------------

 そう、水の都をイメージしたSIM、WITHが今月の27日をもって消滅します。

 さざんも、綺麗な街並みをみるべく何度も足を運んだSIMで、またフォトコンテストの特別審査員としてお手伝いさせていただいたりと、思い出深いSIMだったりします。

 イベントは明日の27日22時からで、イベント当日がSIMの最終日になります。
 本当に最後のパーティになるこの日、すこしでもWITHの景色を目に焼き付けたいものです。みなさんも、よろしければぜひ^^






■綺麗なSIMなのになー。。。のWITH SIMはこちら。
http://slurl.com/secondlife/WITH/210/130/22

■あとWITH公式ブログ。
http://with.slmame.com/  

2009年01月01日

CNET書いてきました。

 こんばんは♪

 おみくじ引くどころか、カゼひきました。
 街角美人、さざんです。

 酒焼けだと思っていたのどの痛みは、じつはカゼだったことが判明face07icon10
 今日はおじやを食べて、ちょっとお酒は控えようと思いマス;;

 というわけで、寝ているばっかりでやることがないのでひさびさにCNETに記事を書いてみました!(どーん!

http://japan.cnet.com/blog/secondlife/2008/11/27/entry_27018211/

「次に来るものは何か?」2009年のソーシャルメディア&CGM

 CNETとは、ITに特化したインターネット媒体のひとつで、情報やエンターテインメントのみではなく専門性の高い意見や多角的な見解を掲載(読者ブログなど)する比較的開かれた情報サイトです。

 ふらふらと遊んでいるさざんが、たまに考えたことなどをまとめて記事にしたりしています。

 今回書いたのは、「次に来るものは何か?」2009年のソーシャルメディア&CGMという記事です。去年の11月に行ってきたカンファレンスについて書いたもので、実は半分書いたのちに書きかけのまま寝かせてしまった記事だったりします。再度考察を加えたものを完成させ、アップしました。
 記事内にセカンドライフというサービス自体は登場しませんが、セカンドライフをメディア(的サービス)と考えた場合に、避けて通れないであろうユーザーの嗜好性などを広義にとらえ考えてみました。あまり面白い内容ではないかもしれませんが、よろしければぜひ^^





■街角美人のセカンドライフ論。久々の更新ですっ!><
http://japan.cnet.com/blog/secondlife/  

2009年01月01日

センス。

 こんばんは♪

 飲んだくれ。
 街角美人、さざんです。

 年末年始ということで会社がお休みになり、さて何をしようかということですが、とりあえず飲んでます。お酒ばっかり。もうあれですよ、それこそ浴びるように。毎日、一人忘年会。ひとりあそびがお上手な、街角美人でございますface07icon10ガビーン
 あっもう年が明けてしまいましたので、これからは一人新年会ですけどー!ガクガク



 以前にご紹介しましたドイツ在住のお友達、しゅりさんがさざんのご自宅に遊びに来てくれました。



 さざんのおうちに来てくれたしゅりさんは、黒と白のツートン。ブラックベリーの髪色が映えます。

 しゅりさんは学校で数ヶ国語を学んでいて、その中に日本語が含まれています。ドイツ語のわからないさざんとコミュニケートできるのは、しゅりさんの語学力があってのものなのです( ´ω`)しおしお

 さざんがいつもしゅりさんと遊んでもらって思うのは、しゅりさんが日本の(すくなくともさざんの)美的感覚とはほんの少しだけ違う美しさを持っているということ。



 セカンドライフは、スキン(=skins)と呼ばれる肌色やお化粧、肉の質感などを表現する肉体表面のテクスチャと、体型をかたちどる数値群・シェイプ(=shapes)、アバターになおいっそうの個性を与える服飾テクスチャおよび服飾オブジェクト(=wear objects)の集合体で、やっと一体のアバターが出来上がります。

 そこに、さざんやみなさんの任意という”センス”のエッセンスが加わり、アバターが”個”というペルソナ(個別性)を持ちます。



 何をいいたいかというと、さざんは形は違えどクリエイティブを志すものとして、自分以外の”個”、”センス”、いうなれば”魂”を、とてもいとおしく思っているということ。あ、もちろんヘンな意味ではなく、尊敬、リスペクトすべき対象として取り扱いたい、ということです。

 それが国内にとどまらず、世界規模で展開されるセカンドライフ。もちろん、出会いも世界規模

 言語スキルや多少のコミュニケーションスキルは必要とされるかもしれませんが、それは出会える事象にくらべれば、とても小さいものに感じます。少なくともさざんは、そう感じています。
 美しいもの、美しいこと、かっこいいもの、かっこいいこと、面白い人、面白いこと、感動、感激、またせつなさやさみしさ、悲しさ。感情の数だけ、セカンドライフには出会いがあります。それは自分の感情との、出会い。人や物事との出会いは、自分の感情との出会いなのかも知れませんね。

 これからも、自分のセレンディピティを信じて。

 そして。
 セカンドライフの”個”との出会いを信じて。



 そんなことを、透き通る空と雲とを眺めながら考えた、2009年元旦。




■あなたの世界。あなたの想像力。Second Life.
http://jp.secondlife.com/  

2008年12月10日

残されたもの、残すべきもの。

 こんばんは♪

 三島由紀夫先生、読んでます。
 街角美人、さざんです。

 アレです。文体が芸術的。芸術的であるがゆえに、さざんを拒んでますface08icon10
 まあ、さざんは文学とは程遠いニンゲンなので、慣れるのに時間が掛かるだけなんですけどー( ´ω`)しおしお

 三島先生は、この世になにを残したかったのでしょうか。この世に、なにを残したのでしょうか。
 文学作品として世に残る作品と、ある事件によって世に知られることになった彼の魂は、今を生きるさざんたちに、なにを伝えようとしているのでしょうか。

 残すだけのなにか、伝えるだけのなにかが三島先生にはあって、その巨人は自己の精神で抑えきれないくらいに大きくなり、そしてやがて吐き出され、だからこそそれはミシマユキオとして日本人の心、世界の人々の心にいまでも響き続けているのだと思います。

 なにもわからずに、さざんは思います。わからない今だからこそ、さざんは思うのです。
 大切なのは、なにかを残そうとした”こと”なにかを伝えようとした”こと”。三島先生はきっと、自分の命を賭して、自分が生きた証をこの世に刻み付けようとした。その”こと”自体がきっと、大切なのです。

 さて。

 そんなさざんは、なにを残してゆけるのでしょうか。なにを伝えてゆけるのでしょうか



 なんのためにお仕事してるのか、なんのために生きているのか、なんのために笑っているのか、なんのために泣いているのか。ふとした心の隙間に、そんなことを考えることがあります。考える必要のない問題を、考えてしまうことがあります。

 そんなとき。

 誰かしらと卓を囲み、そこはかとない会話を、笑顔を交し合うことで、自らは誰かのために、誰かは自らのためになにかを為しているということに気づいたりします。

 そう、セカンドライフという、心と心のみが触れ合う世界で。夢が夢のままで終わっていく世界で。それでも、あすの夢を見ることの出来る世界で。

 毎日なにかを叫ぶさざんの言葉が、どこかの誰かのためになることを信じて。たったの一人でも、いい心持ちになってくれることを信じて。

 そんな、あすの世界を夢見て。





■きっとこれが、新しいコミュニケーションの形。
Your World. Your Imagination. Second Life
http://jp.secondlife.com/  

2008年09月01日

バイラルメディアとセカンドライフ(広告という観点から)。

 こんばんは♪

 ラッキーチェアで3日待ち
 街角美人、さざんです。

 なにこのXの出なさ加減!@@;
 もうね、Xっていう頭文字が出ないように設定されてるんじゃないかと思うくらいに出ないです! 本当に、1/25の確率なのー?!><;

 という具合に、ラッキーチェアと呼ばれる当たりくじのついたイス(イスにはイニシャルが表示されていて、そのイニシャルとアバターのイニシャルが一致した時にプレゼントがもらえる仕組み。イニシャルは設定された時間で変化します。)の前で3日間、まだXを確認することができませんっ!><

 そんなわけで、3日間もラッキーチェアに張り付いた結果。。。

http://japan.cnet.com/blog/secondlife/2008/09/01/entry_27013344/

街角美人のセカンドライフ論 » バイラルメディアとセカンドライフ(広告という観点から)。

 これが書きあがりましたface03

 ちょっとだけ広告に携わるさざんが、広告業界の第一線で活躍なさる方のご本を読んで感じた、セカンドライフの可能性についてです。

 マーケティングや広告業、メディアプロダクトの参考になれば幸いです。ていうか、これ書きながら思いましたがほんとに色々出来そうですね。。。
 デジタルの根性がやりたかったこと、またその課題と解決策がちらりと見えますね^^

 なんつって。

 土屋プロデューサーの前で、そんな偉そうなこといえませんっ!><;

 CNETブログ、よかったら読んでみてくださいねっ♪





■街角美人のセカンドライフ論。
バイラルメディアとセカンドライフ(広告という観点から)。の巻。
http://japan.cnet.com/blog/secondlife/2008/09/01/entry_27013344/  

2008年04月02日

Coryとはもう会えないのでしょうか。

 こんばんは♪

 ちょっと考えてみるよ。←久しぶり
 街角美人、さざんです。

 セカンドライフについて、さざんはその一ユーザーとして、インワールドを構成する一コンテンツとして、最近気になることがいくつかあったりします。
 セカンドライフが、そしてさざんが今後「進むべき道」をもう一度見据えるため、色々な参考サイトをもとに考えをまとめてみようと思います。

 事の発端は、昨年末リンデン・ラボ社のCTO(=最高技術責任者)であるCory Ondrejka(=コーリー・オンドレイカ)氏が同社を解雇になったという記事。

Second Lifeのリンデンラボに大変動--CTOオンドレイカ氏が解雇に(CNET Japan 2007/12/12 15:00)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20363102,00.htm
仮想世界ブログのMassivelyによると、Linden Labの最高技術責任者(CTO)で4番目の社員であるCory Ondrejka氏は、最高経営責任者(CEO)のPhilip Rosedale氏に解雇を言い渡されたという。

 真相は定かではありませんが、リンデン・ラボ社がその後声明を出していることから、オンドレイカ氏が同社を去ったことは間違いがなさそうです。それが解雇なのか、自主的な退社なのかは想像することしか出来ません。

 そもそも、なぜオンドレイカ氏がリンデンラボ社を去ることがさざんはそんなに気になったのか。

 じつは、さざんがセカンドライフをとてもすばらしいツールだと思うひとつの要因に、「オープンソース」というキーワードがあるのです。

 ご存知のとおり、セカンドライフの世界は読んで字のごとく、ユーザーの手によって造られています。
 そのユーザーが増えれば増えるほど接続サーバやデータサーバなどサーバの容量は増大し、それに伴いリンデン・ラボ社の行う管理作業も増えることはあっても減ることはありません。会社は肥大化せざるを得なく、組織も複雑になるでしょう。それが何を意味するかは、子供がジャムをテーブルにこぼすより簡単にわかりますよね。全てにおいて、情報の伝達スピードが遅くなります。

 完ぺきではないにしろ、オープンソースはそういった問題をいともたやすく静めることが可能になるひとつの答えだと考えています。またそれは、セカンドライフの進化にも直結していて、例えばシステムがオープンソース化すればその開発速度は劇的に向上する可能性があります。あくまで可能性ですが、その可能性は昔の黒電話が現在の携帯電話になりかわったのを見ても、悪いものとは思えません。その可能性はポジティブで、前向きなものであると思えます。

原千晶のあの人に会いたい − 第1回 −
Cory Ondrejka(コーリー・オンドレイカ)氏 リンデンラボ(Second Lifeの運営会社)最高技術責任者(wisdom 2007/07/23)

https://www.blwisdom.com/vp/aitai/01/
システムについて言えば、オープン・ソース化を進めていくことで、さらに大規模化が可能になると考えているよ。OpenID(サイトを越えて使用できる認証システム)などのウェブ・プラットフォームは、本当に大規模なシステムを構築するのに特化しているから、オープン・ソース化に伴って、こうした大規模化技術を取り入れることができるだろう。

 このオンドレイカ氏のインタビューコメントは、もちろんリンデン・ラボ社に在籍中のものです。さざんは氏のインタビュー記事を子供のようにわくわくしながら読み、また感動とともに読み終えました。
 オープンソース化による進化は、私たちユーザーが作り上げることの出来る進化ともいえます。

 そう言い放つオンドレイカ氏が、リンデン・ラボ社を去りました。

 セカンドライフオープンソース化の最右翼とされる氏が同社を去ったという事実は、さざんだけではなくたくさんの人の興味や驚嘆を誘ったはずです。

 そしてもうひとつ。

リンデンラボCEO、公式ブログで辞意を表明 今後は取締役会長に(THE SECONDTIMES 2008/03/15 18:50)
http://www.secondtimes.net/news/world/20080315_ceo.html
セカンドライフを運営するリンデンラボのCEOであるフィリップ・ローズデール氏が、同社の公式ブログにて同職を辞任し、近日中に取締役会長に就任すると明らかにした。

 ここにきてリンデン・ラボ社CEO、フィリップ・ローズデール氏のCEO辞任。
 これによりローズデール氏が同社を去るわけではなく、事業運営のみではなくもっとセカンドライフに近い場所で、運営や管理にあたりたいとの意向を氏は示しています。もともとあった、セカンドライフを生み出した氏のイメージを再確認しようということなのでしょうか。それとも、世界の発展を開発部門に任せ、セカンドライフを「理解」し方向性を指し示す羅針盤として自らの感性を再起動させるということなのでしょうか。
 。。。できるだけポジティブにとらえたいものです。

 またローズデール氏の辞任について、こういった意見もあります。

リンデンの将来(その3)(おカタイのが御好き? 2008/03/24)
http://sexyblondegirls0912.slmame.com/e184367.html
リンデンラボはSLの価値を高め、高い投資利益率でリンデンラボ自身またはSLを上場するか、転売するかを目的としていることです。そのためにウィンドライト、Mono、といった新しいテクノロジーを導入し、競合する他のSNSとの差別化を図ろうとしています。また収益構造を危うくするサーバーのオープンソース化を推し進める創業の功労者を切り捨てました。これが基本的な構図です。

 さざんはこの意見が「懸念」でなりませんが、向かう先へ「オープンソース」という「方法」をもってするのか、他の方法をもってするのかの差のみであるならば、心配すべきことではないのかもしれませんね。

 IPOに向かうというのは経営者であれば誰しもが考えることで、それはしごく当然の選択肢であり目標にさえなりうるものです。
 ただ、株式を公開することで会社は「誰かのものになる」ことを宣言するわけで、その宣言は集合知による世界の統治を侵すファクターとなりうるものであることは、悲しいことですが現実です。



 しかし今、セカンドライフはそこで生きるユーザーの手によって呼吸をし、鼓動しています。世界を担っているのはシステムという胎嚢に包まれたユーザーという胎児であって、それは世界のコンテンツであり住人です。セカンドライフは、住人なくしては発達し得ないところまで成長しているのです。

 そのさざんたち住人が出来ることは、世界を造り、世界を堪能し、世界を楽しむこと。それによって、胎児は胎嚢とともに成長するのです。それによってのみ、世界は切り開かれるのです^^

 人間が未熟で、その精神はなお未熟であるがゆえに、たどる道筋の近い「セカンドライフ」というものの未熟さが気になってしまうのでしょうね。言い訳ですけど、未熟だからこそ伸びしろがあり、すくすく育つことが可能なんですよね^^

 いま、その成長に立ち会える奇跡。

 セカンドライフという胎児は、どんな大人になるのでしょうね。  続きを読む

2008年02月01日

暗黙の了解って、必要ですよね。

 こんばんは♪

 のど痛い。空気乾いてるのカナ。
 街角美人、さざんです。

 先日から、お友達のブログでのっぴきならないお話が。

 今まで以上に「個」が「個」として認知され、独自の価値を内外から見出される状況が出来上がりつつあります。それにより富の再分配がなされようとしている今にあって、それを誤認し扱いを違えている人を見かけました。新世界(web2.0後の世界ですね)を良しとしながら、自らの手によってその地盤を崩しかねない行為がなされていることを、当人に認知していただく必要がある気がします。

 おせっかいだということはわかっていますが、題材がさざんの大好きなSecond Lifeなので。
 すみません、本当にちょっとしたおせっかいです。

 さて、まず問題になったのが、このブログです。

■卒業記念品
http://kinen.slmame.com/

 上記ブログの記事で、

http://kinen.slmame.com/e129359.html
http://kinen.slmame.com/e128664.html

 「セカンドライフのアバターを利用したグッズが出来ました!!」といううたい文句で、自社の商品拡販にセカンドライフ内のアバターをサンプルとして使用したものです。
 ブログ管理者(この場合は販促記事を書いた方)の目的は、あくまで自社の商品のみを販売することのようです。

 ここでまず大きな認識違いがある気がします。上記販促ブログにある「セカンドライフのアバターを利用したグッズが出来ました!!」という文句は、ユーザーにどういう印象を与えるでしょうか。
 通常であれば、人は「セカンドライフのアバターが使用されている商品」であると認識するのではないでしょうか。それをキャラクターグッズと認識するのではないでしょうか。
 ブログ管理者の、「あくまで自社の商品のみを販売する」という考えとはうらはらに、世間一般はそう(キャラクターグッズと)認識するのではないかと考えられます。その可能性が高いのではないかと考えられます。どうなんでしょ。

 もうひとつ。

 ここ、もしかしたら今後はもっともっと高いところの判断(法的という意味も含めて)と認識が一般に浸透する必要があると思われるところです。
 それは「使用したアバターがまとっているスキンやアイテムについて」です。カンタンにいうと、肖像権や版権になるのでしょうか。
 法的なものについては、国やら行政やらがもっと煮詰める必要がセカンドライフ(3Di)についてはあると思います。なので、お話するのはいま考えられる礼儀としての、モラルとしてのという部分になります。

 簡単に言うと、製作者に許可(もしくは確認や同意)を取ったのかということです。この点について、クリエイターを無視した流れが、今回あったように思います。それは、クリエイターの軽視に他ならないと考えます。これは、認識云々で片付けられるものではないはずです。

 なぜか。なぜならそれは、商用だからです。

 クリエイターが自己表現の方法としてクリエイティブ作業をし、それを購入する人がいる。購入者は、その取り扱いについて自分独自のエッセンスを加え、クリエイターが表現したもので再度自己表現をする。いまのブログなどですよね。クリエイターはそこまで見越してクリエイティブ作業をしているはずです。しかしあくまでそこまで、です。

 上記の「そこ」とは、どこのことでしょうか。さざんは簡単に、「商用利用」か「非商用利用」かというところだと思っています。それを明記しているクリエイターさんもいますが、明記していなかったとしても、一般常識的にそうなるのではないでしょうか。

 webの仕事をしているプロデューサーに聞いてみたところ、
 「規約に版権やら著作権やらの主張がないものは使えないことはない。が、確認は取ります。ビジネスなので。」
 との回答。これについてはスタンスやら方法やら色々あると思いますが、このプロデューサーのお話はごくごく一般的なものだと認識しています。

 ビジネスだから、決まりのみを機械的に踏襲する、というのではなく、「それってスジだよね。さざんちゃんもスジとおしてる?」と逆に質問を返されてしまったというその後の会話からも、クリエイターに話を通すのは当然だと感じました。

■こまったちゃん。(KT爺のSL漫遊記(仮))
http://ktg.slmame.com/e129410.html

 これ、ちょっとイケナイ感じがします。通ってないですよね、話もスジも。

 こういった一般的なルール(モラル)を超えた行動は、クリエイター軽視でありその地位を脅かすものです。言い換えればweb2.0という基盤の上で成り立っている富のシステムを否定しているものです。

 このお話がweb2.0云々という、対グーグル思想であれば、きっとさざんはほうっておいたでしょう。なぜなら、そこにはさざんなんてちっぽけな存在ではない、絶対的なパワーと知識と権力をもった「web」という強力な審問機関があるから。

 セカンドライフというフィールドで、そのセカンドライフが好きで参加しているさざんたちが感じた違和感。理解しあうことでその違和感を取り除けるのであれば、取り除いてゆきましょうよ。
 セカンドライフがひとり立ちするまで手を取って誘導してあげられるのは、いまセカンドライフに参加しているまさにさざんたちだけなのですから^^

 やるべきこと、考えるべきことって、わかりますよね^^

 この記事を書くにあたり、しんくれあさん(=Sincreaさん)のブログ、天然細腕SIM繁盛記を参考にさせていただきました。ここに御礼を申し上げます。

参考ブログ:天然細腕SIM繁盛記
http://sincrea.slmame.com/

参考記事:ちょっと意見いわせてもらいます。
http://sincrea.slmame.com/e129601.html  

2007年12月27日

セカローの結果。

 こんばんは♪

 ちょとだけ泣きそうになったよ。
 街角美人、さざんです。

 えっと、なんか演説みたいなのをしました。いろいろ考えて喋ったのですけれど、自分を見つめなおすことに必然的になってしまって、なんか泣きそうになりました。あ、うそつきました。ちょっとだけ泣きました;;

 そう、SL HERO'S略してセカローというイベントの決勝で、さざんは大演説を打ったのです。

 マイクを片手に、たくさんの人のまえで、自己満足といわれてしまうような夢を、恥ずかしげもなく。でも、いい夢であれば、みんなで見られたらそんなに素晴らしいことはないですものね^^



こんばんはー!
みなさん、今日はお忙しいところ、セカローことSLヒーローズの
決勝戦に来てくださって、ありがとうございまーす!^^

えっと、今日は決勝戦、
なにか出し物やお歌を披露して評価してもらうっぽいんですけれど、
そういうのは他の2人にお任せしようと思います!^^
なぜかというと、さざんはお歌も歌えないし、立派なSIMも持ってないし、
並外れた企画力があるわけでもないからです^^

今日は、10分間のお時間をいただけるということで、
なにもできないさざんはちょっとだけ、
みなさんにお願いをしちゃおうと思っています!

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、さざんはブログを
書いていたりします。
知らない方は、これを機会に読んでください!ww
「街角美人の集う店★セカンドライフ支店」でーす!^^
よろしくー♪

今年の3月にセカンドライフを初めて、すぐにブログを書き始めました。
なぜブログを書き始めたかというと、セカンドライフに触ってみて感じた、
体温があったからです。インターネットなのに。
うわっ。キモっ。って思った方、きっといると思います。
でもさざんは、ほんとにそう感じました。

日ごろ、メールを受け取ったりメールを書いたり、インターネットでホームページを見たり、
そういった「作業」ではないコミュニケーションを見つけた気がしました。
だって、そこには小さいながらも経済圏があって、クリエイターさんやデザイナーさんがいて、
それを買う人たちがいて、自分で選んだ服を着て、自分で好き勝手に生活しているんです。
そう、本当に生活している感じがしたのです!><

もっともっと、セカンドライフのすてきなところって一杯あるんですけど、みなさんご存知だと思いますのでw
こんなセカンドライフを、もっとたくさんの人に知ってもらおうと、こんなに
楽しいものがあるんだよって、みんなに知ってもらいたくて、さざんはブログを書き始めました!
だから、さざんのブログは、いっつもテンションが高かったりするのですww
たまに落ち込むこともありますけど><

でも、さざんのブログじゃ、セカンドライフを知らない人は読んでもくれないし、
そもそも面白いとも取ってくれないかもしれないって、最近思いました><

これからは、もっともっと対外的にっていうか、web媒体っていうんですか? インターネットの
ニュースサイトみたいなとこに記事を送ったりして、ちゃんとしたセカンドライフの情報を、
否定からでないセカンドライフの確かなビジョンを、たくさんの人に見てもらおうと
思ってます!
さざん、ブログを書くことしかできないので。。。

ちょっとだけがんばって、web媒体みたいなとこに載せてもらえるような記事を書いて、
送っていこうとおもいます!^^

そこで! みなさんにお願いなのです!
もっともっと、セカンドライフを楽しんでください!^^ ただ単純に、セカンドライフを
楽しんでください!^^

そんなの、さざんに言われなくても楽しむよー! っていう方がほとんどだと思いますが、
みなさんが楽しいと思う世界を、さざんはできるだけ、あまさずに外にアピールしていきたいと
思っています!

すごく大きなことを言っているのは分かっています。さざん、SLとかの業界人でもないし、
有名な会社の人でもないし、名前のあるライターでもない。
影響力だっていまはほとんどないかもしれない。
それでも、誰かが中から叫ばなくちゃいけない。外は、SLを否定する記事でいっぱいで、
そういうのを見てると、やっぱり悔しかったりするのです。

さざんが考えていることはもしかしたら、もっともっとセカンドライフが広がっていく過程の、
その導線のたった一点になるかもしれない。
ここにいるHirotoさんのように、名前が残る仕事じゃないかもしれない。
言い方は悪いかもしれないですけど、SLが広がっていくための人柱になっちゃうかもしれない。

それでもさざんは、そう行動していきたい。
こんなにステキな世界を、もっともっとみんなに知ってもらいたいから。

誰かがいつか、土にうもれたさざんを見つけて、
昔にこんなヒーローがいたなって、ちょっとだけ思い出してくれるような、
そんなヒーローに、さざんはなりたいです^^

大好きなセカンドライフを、もりあげていきましょーーーーー!
今日は本当に、ありがとうございましたーーーーー!><


 当日、会場にこられなかった人のために、ログをまとめてみました。

 さざんのこんなに長いお話を、飽きずに聞いてくださって本当に感謝しています。そして今回読んでくださった方、有難うございます。
 あのときリングにあがって、ただ一人心細くて、だからこそテンションばかり高くして、そうやって気張ってたさざんを、みんなの声援が支えてくれました。すごく心強かったです!

 すこしだけちゃんとしたお話ができたのも、みなさんが応援してくれたおかげです^^ 何度感謝しても感謝したりないくらいです><

 そして、今回のイベントを企画、運営してくださったHirotoさんをはじめスタッフのみなさま、出演者のちょこちゃん(=chocoballさん)、じょにーさん(=Johnny66さん)、みんなみんな、会場にきてくれた90人(!)ものみんな、ほんとにありがとうございました!^^

 あの会場の一体感は、これからのSLの将来を暗示するものだと確信しています。前向きで、独創性にあふれ、楽しむことを惜しまない、友と呼べる仲間がいる世界。

 夢ではない、夢のような世界、セカンドライフ。もっともっと、花開きますように。

 あ、優勝はちょこちゃんでした!←説明が淡白  

2007年11月27日

なぜ「ニコ動」は盛り上がり、「セカンドライフ」は(以下略

 こんばんは♪

 ちょっと考えてみた!
 街角美人、さざんです。

 ない頭を捻りながら、ちょっとだけ! 今回はそんな記事♪

 お仕事で調べ物をしていたときにふと見つけたセカンドライフ関連の記事。それっぽいことが書いてあったので、内容を汲んでさざんも考えてみることにします。

 ITmedia「なぜ「ニコ動」は盛り上がり、「Second Life」は過疎化するのか」


 そうなのですかー。端から見たら、セカンドライフは盛り上がっていないのですね。。。

 上記のITmediaさんの記事のなかで、いくつかのツールの時間軸、"同期性"を

 Second Lifeは「(真性)同期」、Twitterは「選択同期」、ニコニコ動画は「疑似同期」

 と表現されています。うまいこと言いましたね^^ 内容の説明については上記記事を参照いただくとして、さざんが気になった点をひとつ。

 Second Lifeの「同期」の古さ

 と文中で表現されている部分があります。こちら、「3Dになることで目新しさはあるが、時間軸で考えると既存のメッセンジャー機能と同じ」ということのようです。

 きっと、同じなのでしょう。セカンドライフで遊ぶさざんは、ちょっとだけ悔しい気持ちになりました。それは、テキストという意思疎通ツールのみを端的に切り出した場合、きっとそうカテゴライズされると思うからです。

 しかし、ちょっとだけマクロ視点で考えると、メッセンジャーと同じであるという1to1でのコミュニケーションに、セカンドライフはテキストだけではないインワールドの世界、例えば浜辺であったり廃屋であったりライブ会場であったり、そういう言葉にならない視覚情報という"コンテンツ"を共有することが出来ますよね^^
 それは、テキストだけではないプラスアルファの”コミュニケーション情報”ですよね^^

 また、ほかにも、

 「1つの場所にいると、他の場所にいるチャンスを失う。人と人とが出会える機会が少なく、閑散化リスクが高い」
 「企業によるSIM(島)開発などで、土地が際限なく広がる」「テレポートできる」という仕様が、閑散化にさらに輪をかける。


 とあります。
 1to1(1tox)のコミュニケーションであることから、「他の場所で起きているであろうイベント(コンテンツ)に出会うチャンスを喪失している可能性がある」ということのようです。

 まさしく、そうですよね。
 例えばお芝居を見に行ったとして、そのとき舞台上で起きた出来事、役者の感情は、次回公演で全く同じものとしての再現はできませんものね。その回の公演を見逃したら、そのときのみ味わうことの出来た感動は、永遠に味わえないことになりますものね。
 でも、ちょっと考えてみると、とっても不便な「一度きりしかない場面」には、その「希少性」や「偶発性」、「偶然性」という与えられた情報以外のところで発生する付加価値、想像することにより発生する付加価値があります。「リアルタイムで世界を共有する」からこそできるコミュニケーションが、そこにはある気がします。

 そう考えると、ちょっとだけ深みが増して、ちょっとだけ楽しくなりますよね、セカンドライフも^^

 最後に。

 時間に着目すれば、なぜSecond Lifeがバッシングされてニコニコ動画が受け入れられたか分かってくるだろう

 時間に着目すると、題材に上がっているセカンドライフ、Twitter、ニコニコ動画が同一線上にないことが見えてくる気がします。ミクロ視点、端的に切り出した情報でITmediaの記事は書かれていますが、注目すべきはその視点がいつのまにか筆者さんによりマクロ的に置き換えられているということです。

 さて、「人が求めているのは本当にそれなのだろうか」。これが命題です。であれば、ミクロで端的な状況説明に終わらずに、もうひとつ言うことがあるはずです。この筆者さんは、きっと言いたいことが頭の中にある気がします。

 それが何か、さざんにはわかりませんが、「人が求めるもの」はコミュニケーションであり、またそれはインターネットというツールを用いたエンターテインメントの復興だとさざんは考えます。
 その過程に、「ニコニコ動画」のような時間軸を異にした人との感動の共有や、ライトなコミュニケーションを不特定多数の人ととることのできるTwitterがあり、またデパートをお友達と歩く感覚のあるセカンドライフがある。

 セカンドライフは"コンテンツ"や"システム"を創作できることから、上記のようなツール(サービス)を内包することができる可能性がある。
 それをもって、セカンドライフは「集客する」や「炎上する」、「盛り上がる」という一過性のものやツールのみではなく、そういった流れを内包したコミュニケーションツールのスタンダードになるものと考えています。
 いまインワールドのコンテンツやツールは、「ツールinツール」ですが、それが「ツールinメディア」になり、そして「ツールinワールド」=リアルライフのツール、というところに帰着するのではないでしょうか。

 。。。あ、最後のは、セカンドライフやってるさざんの希望的観測っていうか、希望だった@@
 帰着、ではなく、成長していってくれたら、ということですね^^ その成長を助長させるも停滞させるも、いまのインワールドでコンテンツを展開する私たち「住人」の行動次第なのかもしれませんね。

 そういう意味でも、ジャーナリストさんやコメンテーターさんの期待を、いい意味で裏切っていきたいですね^^  

2007年11月07日

蓮の花。(面白くない話

 こんばんは♪

 年俸制はボーナス無しよ♪
 街角美人、さざんです。

 。。。ぎゃー!><
 みなさん、年末はご飯ご馳走してくださいっ!><

 と、先行き不安な感の否めないさざんですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか^^ 今日もまた一段と気温が下がり、寒くなってきましたね。ランチの買出しも、羽織るものを持ってのおでかけです。

 水に浮く蓮の花のなかで、本を読むさざん。何を考えているのでしょうか。何を迷っているのでしょうか。

http://slurl.com/secondlife/Fukuoka%20Nakasu/159/147/23


 ちょっとだけ行き詰っていたさざんのセカンドライフ。

 楽しいことだけを追求することが一番と、ずっとそう考えて行動してきました。ただ、その「楽しいこと」が、自分だけのものになってきているということに、考えが行き着きました。

 もちろん、自分が楽しいことは、きっとみんなも楽しいだろうという考えは、一方通行なものです。でも、一方通行ではあるけれど出来るだけのモラルと思いやりで、さざんは押し付けにならないように、みんなが楽しくあるように行動してきたつもりです(至っていないところはたくさんあると思います。ごめんなさい)。

 それがいつしか、自分のまわりの環境を最適化することのみになってきてしまっているのではないか、と思うようになったということです。

 さざんは当初、「さざんはセカンドライフで、みんなが楽しく過ごせるためのステップのうちのひとつになりたい。」って思っていました。楽しみを発見する、そのきっかけであったり、きっかけを見つけるための準備、予備知識。そういうものを、もっともっと充実させていきたいって思っていました。

 再度、自分の考えをまとめてみると、さざんの始まりであるこの考えが、一番最初の考えが行動理念(なんてえらそうなものじゃないけど><)から抜けていたということに気がつきました。

 このタイミングで気づくことが出来て、よかったのかもしれません^^ ただやみくもに悩んでいる時間が短くて済んだことは、幸運なのかもしれません^^

 というわけで! さざんの新しい1ページが始まります!^^

 「さざんはセカンドライフで、みんなが楽しく過ごせるためのステップのうちのひとつになりたい。」ということは、それはセカンドライフでのスタンダードの創造に他ならないと、ちょっとカッコよく言い換えて、その言葉を胸に、インワールドで大暴れしていこうと思います♪

 さざんは、「スタンダードをクリエイトします」。新しい世界で、新しいものに触れ、新しい感性を磨き、新しい仲間と、新しいことをする。それは、新世界の創造、スタンダードのクリエイトです。



 って、蓮の花の上にあった本に書いてあったー^^ 世界がよくなるということは、結果さざんもよくなるということですものね♪ にししー^^
 そんなlotusカフェ。  

2007年11月07日

冬、到来。

 こんばんは♪

 ドーナツ買っちゃった。(ミスターの
 街角美人、さざんです。

 突然寒くなりましたね。会社でも、風邪をひいてしまっている人が多く見受けられます。さざんも風邪治らないし。。。これ、ほんとに風邪なのかな。。。><

 さてさて、そんな微妙な体調でも、さざんさんは元気なのであります!^^

 先日に引き続き、またまたあてもなくぶらりと街を歩いてみました。目的もなく街をゆくと、普段見えないものがみえたりもします。といっても、見えないものは見えないですけどね^^

 この日、さざんが見たものは何だったのでしょうか。



 「おかーさん、カレーまだー?」

 こたつに入って、夕ご飯ができるのを待つさざん。そんな、昔の思い出。

 色も形も、世界さえも違うインワールドで、昔にあった、今となっては思い出すのもむずかしい出来事の記憶を、ふとノックされることの驚き。昔の記憶がずるりと頭のどこかから現われ、さざんをちょっとだけ、センチな気分にさせます。

 セカンドライフで、インワールドでプリムやテクスチャによって表現されるのは、アバターのみが触れることの出来る仮想空間のデータのみ。そのプリムやテクスチャ、データに歴史はなくても、それを作る人、またそれを見る人には歴史がある。思い出して、泣いたり怒ったり、笑ったりできる記憶がある。

 1と0のデータで構成されたうすっぺらいセカンドライフという仮想空間に、意味や厚み、体温を感じるのはきっと、人の記憶、ひいては歴史を尊重しているからのように感じます。

 さざんはきっと、人が好きなんだな。ケンカしても、すれ違っても、それは相手がいてやっと成り立つ行為。現実世界での出会いも、またインワールドでのダイナミックな人との交わりも、記憶と歴史が織り成すひとつの物語。紡がれる、さざんという人生。人とのかかわりにより作り上げられる、人生劇場。

 懐かしい昔の思い出が、見えた。
 そして、ここで考える、自分が見えた。そんな日。  

2007年10月14日

日はまた昇るんだよ。

 こんばんは♪

 誰もが通る、幼年期。肉体的に子供である時期のこと、また精神的に子供である時期こと。もしくはその両方を指して、幼年期と表現したりします。

 ヘミングウェイの不朽の名作、「日はまた昇る」は、ロスト・ジェネレーション(自堕落な世代)と表現されるある世代の若者たちを、生き生きと、また生々しく、そして血生臭く書き上げています。
 禁酒法時代のアメリカで育ち、祖国への愛国心もないままそこを去り、彼らはパリでその日を生きています。

 目的のないひがな一日。虚無感を感じつつも、混沌と秩序の入り乱れる世界で、目前の享楽に身を落とす。20世紀初頭を舞台にした小説でありながら、さざんはこれが21世紀を迎えた現代社会に生きる若者たち、我々となんら変わらないのではないかと感じました。



 もちろん、生活をするために仕事もするし、明日のために勉強もする。身を立てるために対外的に行動もする。世界という社会の仕組みがかわっているから、行動も多少は違えど、気持ちのあり方はいつの時代の若者も同じなのかなと思いました。

 希望、夢、目標。

 すべての人が、それをもとに行動する社会なんて、そんな気持ちのわるいものはありません。心のどこかに、いくらかそのかけらがあるだけで、いい気がします。

 さて、そのかけら。

 今、そのかけらさえも心に見つけることが難しい、そんな社会だったりします。競争原理で成り立つ社会ながら、学校ではそれを教育から排除し、負けることの大切さを理解させない。負けることがないから、勝つことの必要性、重大さを感じない。負けることがないから、負ける世界が「一般社会」であることを理解しない。理解できない。それによって見つけることのできる自分の居場所を、発見できない。そんな社会だから、希望のかけらを持つことができない。
 衝動的に行動する。衝動にかられたままの言動。明日を見据えない、心。それは、自分の居場所が見当たらないから。自分というアバターが、この世界に存在していることを俯瞰から見ることができていないから。

 そんな現代のロスト・ジェネレーションが、自分を再確認できる世界。小さくも無限が存在する世界、セカンドライフ。

 セカンドライフは、自分という存在を視覚的に把握することができ、また行動することができます。形式的にも、自分を発見するのにちょうどいいツールです。自分が、世界の一端を担っている実感をもてる、すばらしいツールです。

 さざんは、現実世界にある人格と、セカンドライフ内にあるアバターを構成する人格は、基本的に同じと思っています。たとえば、現実世界で普段あまり人と会話をすることの少ない人は、インワールドでも同じく、口数がすくないのではと思います。明るい性格の人は、インワールドでも明るく立ち回り、説教じみた言動の人は、同じく煙たがられる気がします。
 いい意味で、ペルソナはひとつであると考えるからです。

 その「自分」を、セカンドライフというツールを使い視覚的にみることのみで、希望や夢をみつけることができるのでしょうか。

 答えは、「ノー」だと思います。
 インワールドは、良くも悪くも、現実世界を模した仮想空間です。やりたいことのみをすることのできる、ある種の桃源郷です。ここでできるのは、ヘミングウェイが描いたロスト・ジェネレーションと呼ばれた若者たちの歩んだ道のりを、追体験することのみです。

 1900年代のロスト・ジェネレーションの生き方を、現代のロスト・ジェネレーションが追体験する。
 インワールドという、やりたいことのみをすることのできる世界で、「目的のないひがな一日。虚無感を感じつつも、混沌と秩序の入り乱れる世界で、目前の享楽に身を落とす。」ことを追体験する。この経験を経る事こそが、いつしか心のどこかに希望のかけらをみつけるための、もっとも大切なことのように思います。

 遊ぶこと。楽しむこと。喜ぶこと。笑うこと。泣くこと。怒ること。ふてくされること。たくさんの感情をあらわにして、たくさんの感情をあらわにされて、混沌と秩序は表裏一体であり隣人であることを理解する。感じる。


↑たくさんの「感情」という鍵盤を叩いて。

 そんな人生経験を、身近に、気軽に体験することのできる、セカンドライフ。

 誰かは言いました

 「セカンドライフは明るい未来を作るために神様がくれた第二の地球だね。」

 現実世界の自分が経験する世界と、仮想空間にある自分が経験する世界。いままでできた人生の2倍もの人生を歩むことのできる現代のロスト・ジェネレーションたち。さざんたち。

 ジェイクとブレッド、そしてビル、コーン、マイク。彼らの感じた情熱と血のにおいは、いまのセカンドライフの世界そのまま。彼らのこれからが光のあふれる世界であってほしいという希望と同じだけ、さざんたちの未来も、そうあってほしいとおもう。

 もうちょっとだけ、「希望や夢、目標」なんて格好のいいものじゃなくていいから、明日の悦びを祈ることのできる自分になりたい。たくさんの経験から、すなおにそう思える自分に、なっていきたい。

 ヘミングウェイって、えらいなあ。なーんにも考えていないさざんに、ちょっとだけ考えることをさせるんだもの。オトナになるって、こういうことなのかな。

 さあ、フィエスタの始まりです。  

2007年10月04日

思い出スナップ。

 こんばんは♪

 マサト選手ー!><
 街角美人、さざんです。

 オクサマが会場に応援にきてても、さざんはいつも応援してますっ!><

 と、ある格闘技の決勝戦が終わったタイミングで、睡魔に襲われ小一時間の睡眠を余儀なくされたさざんですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか^^

 あの日、夜が明けました。
 止まっていた夢の時間は、いつしか動き出し、そして明けなかった夜が終わりを告げ、新しい日が昇りました。

 人生の転機。さざんは、それに立ち会えた事を、誇りに思います。



 誰しも、若かりし日の思い出は存在します。

 自分の両手が届く範囲であれば、なにもかもが自分の思い通りになり、自分の常識は世界の常識だったあの頃。

 傷つき、傷つけることが光って見え、感情的にならない日はなかったあの頃。

 いつも夢を見ていられた、あの頃。



 過ぎ去る景色は、すべて黄金に輝いていた。風は冷たく、また暖かく頬をなで、通り過ぎていく。



 仲間のためなら、なんでもできた。全てを投げ出せる、仲間がいた。



 ちょっとだけ飛び出すことで、他人との違いを認識したかった。人のしないことをすることで、自分の存在を確認したかった。

 そんな、夢のような時間。だれにでもある、思い出の時間。

 でも、夢は覚める。長い夜も、いつかは明ける。

 朝日が、新しい自分を照らし出そうと、空をのぼる。それは、誰にも止められない、自然の摂理。悲しいけどそれは、誰しもが迎える、人としての成長。オトナへの階段。



 のぼる太陽に照らされた自分は、どのような姿なのでしょうか。新しい自分は、どのような姿をしているのでしょうか。

 生まれ変わったその姿で、希望に満ち満ちた目をして、あなたはどこへ、向かいますか?




 この更新記事を、バーをオープンしたReCHiちゃんへ捧げます。  

2007年09月02日

ケイタイデンワのカンバン。(コムズカシイお話

 こんばんは♪

 悩み多き20代。
 街角美人、さざんです。

 お酒のんじゃってるというのは、ないしょですけどね☆

 さて、街を歩いてて見かけたオブジェクト広告をみて、ちょっとだけ考えちゃいました。



 これ、japan 0*というsimに点在しているオブジェクト広告(勝手に命名しました)なのですが、これが道にぽつんと置いてあるんです。道に。

 さざんは、かわいいなと思って立ち止まって見ちゃったのですが、このオブジェクトが道に置いてあったとして、その道を通る人が、どれだけいるのでしょうか?



 可能性として、sim管理者によって飛行が禁止される、またはTP(テレポート)が禁止(もしくは出現場所の指定が)されれば、一定の街道に対して通行量をあげることは可能です。あるイベント会場へ向かう道すがら、そこにオブジェクトを設置されていれば、広告としての効果が得られるのですから。

 しかし、それが双方にとって幸福なことでしょうか。

 なにかの足かせをすることで、現在あるプロモーションが劇的な効果を得るとは考えづらい。なぜか。足かせのないプロモーションが既にあるからです。
 またイベント会場や目的地へ向かうこと自体がストレスとなる場合、会場や目的地へのアクセス自体が減る可能性があります。

 そして。
 セカンドライフという新しい世界であり、新しいプロモーション方法が必要である可能性の高い世界です。既存の広告が通用する確証がない。

 あ、いままで効果の確証があった広告なんてないんですけどね^^;

 セカンドライフ内で行われる交通広告が効果がないわけではなく、もしかしたらもっと効果のある広告方法があるのではないか、と、ちょっとだけ思ったのです。

 ふと、RLさざんのうしろに転がっている携帯電話。こうやって自宅に転がしておくだけで、例えば知人が遊びにきた際、「さざんはこの携帯電話を使っているんだ。」という認知だけはさせることができます。

 結論から言ってしまうと、さざんはこのオブジェクトを床に転がしてsitballをセットして、イスかなにかにしたら面白いなって思ったのです。



 セカンドライフにある自宅ないしはカフェなどにふと置いてあるオブジェクト広告。インテリアとしてのオブジェクト広告。それをどう取り扱うかについてはユーザーに一任し、企業側は必要以上の販促活動をしない。販促活動に力を入れるのではなく、魅力のある商品、サービスを開発することに注力する。いい商品を作ることが出来れば、いいサービスを開発することが出来れば、ユーザーはそれをバイラル情報として感染させることを始める。当然のサイクル。広告費のリサイクル。

 といっても、一定の販促活動は必要で、その方法としての土台がセカンドライフ内で整ったとき、新しい広告媒体としてセカンドライフが活用される気がします。セカンドライフの可能性は、そこにある気がします。

 セカンドライフが発展するにあたり、大企業の広告費は絶対に必要です。ですが、力技でどうにでもなる世界ではないことは、ユーザーも企業側も身をもって理解しているはずです。

 大切なのは、このセカンドライフという世界を互いに理解し、ユーザーと企業の立ち位置が同じであることを早々に学び、有効な広告展開方法を考える必要があるということです。

 web3.0とは言いません。ただ、世界が前を向くことで、すべてにとって良いスパイラルに入ることで、それはweb2.1と呼んでもいいものになるのではないでしょうか。

 そういう意味でも、オープンソースを軸としたセカンドライフの発展は、webの未来を見せてくれるタイムカプセルじゃないかなって、思います。

 タイムカプセルに乗っていることを、後に誇れる世界にしていきたいですね。セカンドライフという世界を。  

2007年08月24日

音楽をマジメに考えてみる。ほんとだよ。その2

 こんばんは♪

 「老人と海」、3ページ目で泣きそうになった!@@;
 街角美人、さざんです。

 どんな感性してるのかしら、さざんさん。。。><;

 というわけで、先日のつづき

 solaryことソラリーさんが妹さんと組んでいるユニット、「DAUGHTER」のデビューライブに行ったさざん。さざんはそこで、いろいろなことを考えちゃうのでした。セカンドライフのライブって、なんなのでしょう。ミュージシャンがセカンドライフでライブ活動を展開することで、どんな効果が得られるのでしょう。。。


↑うたうたいのソラリーさん。

 ドラマなどのタイアップが、表現者を成功に押し上げるだけのパワーがあることは想像に難くありません。またバンドブームという怪物が、ユーザー至上だったライブ会場を飲み込んだことも、歴史を見れば至極事実です。
 ただ両方とも、それに「乗る」ことが実力よりもっと大きな要素(運であったり、また見えざる神の手)が関与する、もしくは必要であるということは否めません。

 実力のある表現者は、宝くじを狙いに行く必要はないという考えのさざんは、やはりそれは面白くないのです。実力があるのは前提として、スタートラインに差があるのは、いま巷で言われるweb2.0の時代にそぐうものではありません。とか思うのですー><;

 さてさて、では、ネットでのプロモーション、展開はどうなのでしょう。

 神は死んだ。あるのはデータの海だ。

 デジタルの世界に、ラッキーはないように思います。web2.0とは、万人がツールを手にし、スタートラインが横一線になった状態であると認識しています。ということは、ゴールテープを切ることができるのは、一発勝負でスタートタイミングを見計らい走り出す者ではなく、道筋を走りきる能力を持ち合わせた真の実力者のみになります。

 そういう意味で、表現者は常に向上心、探究心が必要になりますし、それを評価するユーザー、「見るプロ」である私たちも、感性を研ぎ澄ませる必要があるのです。

 インターネット上でサイトを立ち上げ、自らのプロモーションを行う表現者。今では珍しくありません。というか、誰しもが行う当然のプロモーション展開です。自分の歌を、無料で試聴してもらう機能を持つサイトも、少なくありません。

 この「無料で試聴」できることで、私たちユーザーは、手軽に新たな才能に触れることができ、素直に、純粋にその作品を評価することができるのです。

 これは、Googleのような「埋もれた情報を目的に応じて引き出す」ツールが出来たことで可能となった、新たな展開方法ですね。ユーザーが無料なら、情報を発信する表現者にかかるコストも、ほぼ無料(人的コストはかかりますけどね)。表現者が、「発表の場」としてのプラットフォームをスタートラインとして、一列に並んだということです^^ それが、先の記事で表現した「表現者にとって平等」という意味だったりします。
 残酷でもあり、しかし魅力的なweb2.0的考え方。危険をはらみつつも、また大きな可能性もある方法ですね。

 こんなにステキなら、サイトを立ち上げ、そこでプロモーションを行えばいいじゃない。無料で試聴させて、バイラル効果を期待して、あとは待っていればいいじゃない。

 そんな極端な考えにはなりませんが、そこまで有用なインターネットでの告知以外に、なぜ表現者はセカンドライフ内でライブ活動をするのでしょうか。ここでいうライブ活動とは、「会場と一体になれる」ストリーミング放送をもってライブイベントを行うことを指します。

 インワールドでライブをするのは、ただ楽しいから? サイトでは見られない、リアルタイムの観客の反応が見えるから? はたして、それだけなのでしょうか。

 ↓↓↓長くなっちゃったので、追記にします><;  続きを読む